2008年12月13日

☆東方アニメ化とARGが抱える共通の原罪

「僕たちは本気で幻想郷を目指している」


〜声優の存在が妨げた『アニメの正しき進化』〜


超巨大同人コングロマリット(ってカンジですよね今や)『東方プロジェクト』の原作者・ZUN氏が自身のブログ「博麗幻想書譜」において、サークル舞風による同人アニメ「東方アニメプロジェクト・夢想夏郷」について言及しました。

冬コミ頒布の「東方アニメプロジェクト・夢想夏郷」が話題
「東方プロジェクト」作者が話題の東方アニメに触れる

東方シリーズに関する基礎的な説明はここでは割愛いたしまして…。

実はこの東方アニメ化プロジェクト、特に今回起用される豪華声優陣が発表されたのをきっかけに、ファンの間ではあまり歓迎されないムードも少なからず噴出しているようなのです。

単純にアニメ化といえば、本来はコンテンツが世間に認知されたことを証明する喜ぶべきバロメーターのはずです。

東方がすでに広く愛されてすぎているとか、同人界を代表するスターであるとか、昨今の粗製乱造であるとか(私は必ずしもそうは思っていませんが)、これまでのプロモーションから期待されるクオリティであるとか、他にも諸々の理由がもちろんあるかと思います。

例えば私の場合はこのニュースを聞いた時、数年前、これまた超有名同人作品『月姫』の二次創作格闘ゲーム『メルティブラッド』の声優陣があまりに豪華で驚いたことを思い出しました。

当時としてはこれほどまでに有名声優を集めた同人作品は過去に例が無く、商業作品では当たり前の、スタッフロールクレジットで流れるはずの参加声優の名前が表示されずにクレームが来るなどのトラブルもあったようです。

月姫のキャラクターはほぼファンのイメージ通りのキャスティングだったようで、その後の若手声優を起用したアニメシリーズが黒歴史とまで言われてしまうほどに、この時点で登場人物たちの声のイメージを完全に固めてしまうインパクトがあったようです(評判が悪かった理由は他にもあったようですが)。

なので神主(ZUN氏)を含めた東方関係者(私もその末席に数えて頂ければ幸いです)が良くも悪くも色々と危惧する気持ちはよくわかります。

ですが、東方プロジェクトのアニメ化を望んでいない層の中にも、様々な主張の不一致が存在してしまっています。

つまり、『そもそも同人であろうと東方に声付きのアニメ化は不要』『声優が合っていないから嫌だ』『自分の中で声のイメージが固まってしまうのが嫌だ』『にわか東方ファンがそれを正しい声だと認識するのが耐えられない』…などといった多種多様な意見が混在しているのです。

一方で、同人ドラマCD『東方M−1グランプリ』では「声が合っていない」と嘆く人々がおり、またもう一方でニコニコ動画の『夢の東方タッグ編』では声あり版と声なし版のふたつがアップされる事態となり、声なし人気の方が優勢である、などといった事実もあります(アップ日時・コメントなど総合的に判断した上での推測です、現在の再生数は声あり版が上回っています)。

いくら東方ファンが膨大とはいえ、これほどまでに混迷を極めている原因は何なのでしょうか?

ここには、東方アニメ化を危惧する人々のある共通点が浮かび上がります。

すなわち、我々は東方のアニメ化そのものを疎んじているわけではありません(もちろんごく少数の例外はあるでしょうが)。だって動画化そのものが嫌なのであれば、FLASHやニコニコ動画を皮切りとしてこれほどまでに東方が流行ることなどなかったのですから。

つまりファンはアニメ化のごく一部、つまり『声優』の存在を問題としているのです。

本来アニメ化に欠かせないはずの、声優の存在。それがどうしてこれほどまでに東方アニメ化を脅かすのでしょうか。

ぼくは絶対にあきらめない。ドラえもんも、幻想郷も。

…ところで、山嵐には、最初にアニメにハマった頃からずっと持ち続けてきた持論があります。

すなわち『アニメ声優不用論』です。

何も無声映画に退行せよ、というわけではありません。

「中の人などいない!」という言葉はオタクの間では十分にメジャーになった主張ですが、その言葉通り、私を含めた敬虔な二次元信者は決して中の人など求めたりはしません。

例えばそれが実写ドラマであれば、外見的には実在する三次元の登場人物の声を(当たり前の話ですが)本人が演じるわけだから、違和感が無いのは当然です。それがたとえ吹き替えであっても、『人間が演じている』という点では同じことが言えます。

翻って、アニメではどうか?

漫画などが原作であってもゲームにしてもそうですが、原則としてそれは想像によってゼロから創られた『異世界の住人(物語)』です。

この世に存在しないものの声をこの世に実在する人物が演じているわけですから、これは冷静に考えるとひどく滑稽です。

その甘美な声に演技に、相当の割合のファンが魅了されているのは間違いありませんが、それは大抵の場合においてそのキャラへの愛のバロメーター足り得ないと私は考えます。なぜなら彼らは実在の人間が披露するそのキャラクターの『モノマネ』に惚れただけなのですから。

私はこの事実を指摘し、一貫して「アニメ声優を全員廃業に追い込むほど合成音声が発達して初めてジャパニメーションは完成する」と唱え続けてきました。

『ゼロから人の手で創られたキャラクター』にはやはり、『ゼロから人の手でそのキャラクターのためだけに創られた声』こそがふさわしいはずなのです。

興味深いことに、どんなにイメージが合っていなかろうが感情がこもってなかろうが、そのキャラクターのためだけに創られた声は、不特定多数の声を商売がてら演じ分ける声優などよりもはるかに誠実で、懸命で、唯一無二のイデアとも言うべき『キャラそのもの(本物)』なのです。

これは昨今、初音ミクをはじめとするボーカロイドたちの拙い言葉が多くのファンに愛されていることからも読み取れます。彼女たちの元となる『人間の声』は確かに存在しますが、声優が初音ミクたちを直接演じたわけではありません。というより演じる必要などないし、情感たっぷりに演じてしまってはボーカロイドたりえません。彼女たちはおそらく当面の間、ろくに喋れないことそのものだってアイデンティティなのですから。

ジャパニメーション界はアニメの先進として、もっと早くそれに気付くべきでした。

アニメの黎明期から、声優たちがとても優秀で有用であったから、視聴者はそれを本物と勘違いし続けてきました。

実際には、どうでしょうか?皆が認めたドラえもんはのび太はジャイアンは、永遠にその声を保てましたか?本物が偽者になった?どちらの声も本物のドラえもん?そんなことはありえません。最初から偽者だったのです。当たり前の話です。これが唯一無二の、二次元のキャラクターにふさわしい『ゼロから創られた声』であったならばこんな喜劇は起きなかったはずです。総じて全ての関係者がこれほどまでに声優に依存していなければ、似合わない偽者だと理解して本物の声そのものを創ることを常に怠らなければ、今ごろ合成音声はアニメ大国にふさわしい目覚ましいまでの発展を遂げていたはずなのです。ファンは年々進化する技術とそれを駆使するクリエーターのクオリティアップに感動はすれど、突然の世代交代に落胆する必要など無かったはずなのです(今もなおファミコン音源が愛されているように、人それぞれの好みはもちろん主張され続けたでしょうが)。

山嵐は添付写真が示す通り、文字通りそれこそ物心つく前からドラえもんを愛し、信じました。それは今でも変わりません。しかしそれでも聞きなれたあの愛すべきだみ声がドラえもんの真の声なのだとこだわったことなどただの一度もありません。

全てのアニメの全てのキャラクターについて、私は同様の見解を持ち続けています。

もうひとつ具体例を挙げて言ってしまえば、孫悟空を演じる野沢雅子氏が新人を厳しく指導するさまなどを見ていると失笑してしまいます。

彼女が悟空の声を正しく、あるいは素晴らしく演じたことなどただの一度もありません。

悟空の声は感情は、悟空にしか出せないのだから。

誤解を恐れず言ってしまえば、「他にキャラの声を疑似体験できる手段が無いから、仕方なく生身の人間のお芝居を聞いてやっていた」だけなのです(これはあくまで表現です、声優の方々を卑下するものではありません。私にも好きな声優はたくさんいます。保志総一朗氏とか、平野綾氏とか)。

例外として、ノンフィクションの物語のキャラのセリフを実際の人物があてるとか、最初からこのキャラクターの声は誰それと同一である、というコンセプトで創られたのならばたとえ演技であってもそれはより本物に近いのでしょう。



…ただ、これはもちろんifのお話。現実的に想像できるというだけの『異世界物語』です。

それでも我々は今日まで、声優の演技力に頼るほかアニメを楽しむ方法が無かった。作る手段が無かった。

架空の存在をより深く愛するために、現実の嘘を肯定し続けなければならない…。これは『代替現実』を謳うARGにも同じジレンマが当てはまります。

真にゲーム世界を愛する者は、ゲームがしたいわけではありません。魔法が使え、竜と戦い、姫君とのラブロマンスを楽しめる『現実』を生きたいだけです。これは敬虔なARGゲーマーのほとんどにあてはまることでしょう。その『代替手段』としてオルタネイトリアリティ『ゲーム』を利用する。これほど哀れな光景も珍しいのかもしれません。

ARGにもいずれ声優と同じ原罪が、東方アニメ化と同じ難問が浮かび上がる日が必ず来ます。いや、コンテンツが成熟した現代社会においてもうその闇は滲み出しているのかもしれません。まさしく今このタイミングで、私がこのテーマを記事にしたためたように。街角で怪しい集団がくるくると踊っているのを見た日本人の目が、殊の外冷ややかだったように。

ARGがその名に刻んだ使命を果たすためには、AR『G』であってはならない。このパラドックスをいかに乗り越えるか。私はこのジンテーゼに今、日本ARG黎明期の早々から、真っ向から挑戦していくことを宣言したいと思います。



…で、まあそれはそれとして。
そんなこんなで東方が大好きな私は、『異世界物語』でも東方プロジェクトにまつわるクイズとか取り入れようかなぁと画策中です。それはもう、コアなファンでも解けないようなやつを、挑戦状的に。乞うご期待〜。



関係ないけどアニメいいね。(オイイイイィ!!)
posted by 山嵐拓夢 at 20:12 | ARGメッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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